前回の記事では、幼少期〜十代中頃にしていた遊びについて書きました。
前回のお話はこちら!https://kominkamin.jp/wheniwasachild/?p=173/
10代後半からは、手では触れられないものに興味が移って行きました。根っからソロプレイヤー気質の私は、おそらく普通の人よりずっとずっとずっと長い思春期を過ごしました。トンネルの中をもがくように、けれども夢中で歩き回る過程で、間接的に誰かの存在に触れたり、助けてもらったり、迷惑をかけたりもしました。不器用ながらも歩みを進めるうち、たくさんの思想を抱きました。そして、その思想にのめり込んで行きました。

リトルFumi
ねぇ赤と緑を交換する話、聞く?

え、赤と何って?地獄みたいな顔してるやん。後でお茶入れるからゆっくり聞かせて。(後日記事にします、お楽しみに☆)
十代後半、もういい大人になる頃、私が毎日のように考えていたことは、例えばこんな事でした。
●色の見え方は人によって違うかもしれないこと。
●ある人にとって心地よい音は、またある人にとってはノイズであるかもしれないこと。
●言葉は、人によって受け取られる意味が違う場合があること
●魂って存在するのだろうか
●ものの中身って何だろう
●常識は良くも悪くも、思い込みが作るものであるということ
●良くも悪くも、思い込みが一つの社会を作り、善も悪も作って行くこと

こうして文字に起こしてみると、どれも当たり前と言えば当たり前の事なんですけどね。

いやいや、当たり前やからこそおもしろいんやで。

だから何?っていう誰かの声が聞こえてきそう。

じゃぁこう返せば良いよ。「だから何?」
自分がおもしろいと思うことを否定したらあかんで!
おもしろい、は人によって違う。例えば、赤と緑を交換する話みたいにね・・・。

良いこと言ってくれてたのに最後、急に地獄みたいな顔するやん。どんなトラウマ抱えてる?
というわけで、幼少から遊びとして継続されてきた実験や観察活動の中で感じてきた事、考えてきた事が、少しずつ積み重なり、気づけば「感覚と思考の洞窟」の中に入り、現在も真剣に探求を続けています。昨今の「宇宙」や「光」に魅せられた人々とは対照的に、例えるならば私は「地底」に潜っていくタイプで、求める場所も「洞窟」に近い感じです。広い砂浜よりも、岩場の影の小さな潮溜まりが好きだし、広い運動場を走るよりも、荒地にできた獣道にしゃがんでいる方が好きなのです。そうして、じっと観察したり、考えたりする時間が、私にとっては何より大切なんです。
現在は、漂流物を中心とした具象画「Masago」シリーズや・・・


「どろんこ遊び」をモチーフに、「自我の赴くままに手指や身体を動かして感じた喜びを取り戻す」というコンセプトで制作する抽象画「The soil」シリーズに・・・

農具や納屋をモチーフとした「Dear Land,」シリーズ・・・

などなど、いくつかのシリーズを制作中です。ヒトと自然の関わりが生みだした美しい形や色・風景を切り取り、キャンバスの上に再構成しています。もちろん、そのキャンバスの上には、世の辛酸を表す色や形も含まれます。描いている私自身が、いたたまれなくなる事もあります。

真剣な遊びに、怪我はつきもの!
それでもずっと追求したいと思う、これからもやめられない遊び、それが「えかき」です。
これからも洞窟の探求はづつきます!

これまでもこれからも、真剣ソロプレイヤー!
絵画作品はこちらからご購入いただけます。
https://www.creema.jp/c/fumi-onaka
新作情報は公式ラインにて随時ご案内します。
https://lin.ee/3dEaTvw
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